CFD昔話

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CFD昔話−1 1980年のCFD国際会議ICNMFD (2021年3月記)

1980年のことです.私が大学院生活を送っていた東大宇宙研(当時)の大島耕一先生(故人)から,「数値流体力学の国際会議がStanford大学とNASA Ames研究所で開催される.日本からたくさん応募したいが,アブストラクトを書いて応募しないか」というお誘いがありました.当時は国内会議に参加するにも院生の旅費を公に出すことができない時代です.一般には,学生がアルバイトをすることで,旅費を自分で支払うことが普通の時代です.衝撃波の第一人者であった小口伯郎先生など一部に国際会議などに深く関わっていた先生の研究室では所属大学院生の国際会議発表もあったとは思いますが,国際会議など思いもかけませんでした.もちろん,メールもインターネットもない時代です.明確な記憶はありませんが,博士論文が終わったところでその結果をまとめてアブストラクトを大島先生にお渡ししました.もしかしたらファックスなどだったかもしれません.結果,幸いなことに採択され,大島先生を先頭に,桑原邦郎先生(当時,東大教養学部助手),同じ宇宙研の井上督さん(後に東北大),同期の小野清秋くん(後に日大),東大の院生だった堀内潔くん(後に東工大)らと一緒に渡米して発表することになりました.
(以下,続く)


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CFD昔話−2 日本製スーパーコンピュータとの出会い (2021年3月記)

1985年のことです.当時,航空宇宙技術研究所(現在のJAXA航空部門(調布))に勤め始めて1年くらい経った頃です.NASA Ames研究所から戻った後で,当時東大の大学院生で研修生として研究所に来ていた大林茂さん(現,東北大教授)とすでに圧縮性ナヴィエ・ストークス方程式を利用した数値計算を始めていました.ただ,航技研にあった大型計算機は当時、富士通M380,記憶が正しければ8MFLOPSと言われていました.当然メモリーも小さく,簡単な物体形状まわりの試行的計算に留まっていました.最初にやった計算は31x31x31 格子点数の計算です.何十回ジョブをつないで定常的な解を求めていました.あるとき,計算機センターの長であった三好甫さんから呼び出され,富士通(株)の工場に行って出荷前のベクトル型スーパーコンピュータ(VP400)を使って翼流れを計算しないかと言われました.大林さんの手法を組み込んだ3次元の圧縮性ナヴィエ・ストークス方程式を陰解法で解くプログラムはすでにありましたし,Ames研究所の経験からそのベクトル化もできていました.単純ではありますが,すでに翼形状も計算していたので,道具は揃っています.それから数ヶ月,社員が帰宅する時間を見計らって富士通中原工場に出向き,SEさんに手伝ってもらいながら,本格的な3次元翼の遷音速流れを計算しました.実は,この話は当時JADCが中心となって進めていた,YXXプロジェクト(ボーイングでは7J7プロジェクト)のためのシミュレーションで,...
(続く)